あしあと
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西大和田ほか吾妻神社の氏子7地区による、五穀豊穣と海の安全、大漁を祈願する祭りである。毎年敬老の日の前の日曜日に吾妻神社から岩瀬海岸にかけて馬や神輿が練り歩く。日本武尊の東征に際し、嵐の海を鎮めるために身を投げた弟橘姫命の櫛を馬がくわえて吾妻山にかけあがったとの伝承に因んで行われている。
祭りには、神輿に係る「課役」やジンメ(神馬)に係る「馬役」等をはじめとした厳格な組織があり、ジンメや副ジンメ、オブリ(御贄)の用意、獅子舞などの役割が、各地区ごとに割り振られている。
当日4地区の氏子が出発式の後、吾妻神社をめざすが、4地区の鳥居をくぐる順番と時間が決められている。神輿の渡御に先立ちオブリ(御贄)が神輿に供えられる。神輿は西大和田によって担がれ、鳥居下までミヤイデ(宮出)を行い、絹、中、岩瀬の順に「仁義」の儀礼により引き継がれる。一方、馬は神輿に先立って海へ向かい、岩瀬海岸で馬だしが行われる。その背からおろしたオンベ(幣束)が浜の祭場に埋められると、馬は還御の途に就く。その後、神輿が海岸に到着し、祭場に安置されて神事が行われる。
この祭りでは、神霊の御渡が神馬と神輿によって二重に行われている。神馬の独特な役割に重きをおいていること、かつて当地域周辺の祭礼でも行われていた馬だしが今日まで引き継がれ行われていることは、弟橘姫命を祭神とし、その伝承を貴ぶことによるもので、現代では貴重となった地域を代表とする祭りである。平成29年、千葉県指定無形民俗文化財に指定。
オブリ(御贄)神事
ミヤイデ(宮出)
馬だし
お浜出
鶴岡の羯鼓舞は、明治以前より同地区の長男の間に伝承され、毎年7月1日の浅間神社例祭、および旱魃の続く年、雨乞い祈願のために上演奉納されてきたものである。後継者難のため、しばしば伝承は中断されたが、最近では昭和50年(1975)に再興され、市内に伝承される唯一の羯鼓舞として現在に至っている。演舞者は古くは着物の上に麻や木綿のゆはぎ、かたびらを羽織っていたが、現在は浴衣に能袴、白足袋姿である。昭和53年市指定無形民俗文化財。
竹岡三柱神社の木遣り獅子舞は、7月に行われる三柱神社本祭の2日目に奉納される。神輿、山車に先立って木遣り唄を歌いながら町内を練り歩き、通り道の厄払いを行う。このような獅子舞は、お練り獅子舞や行道(ぎょうどう)獅子舞と呼ばれ、古くからの形態をとどめている。獅子頭を高下する舞は雄獅子と雌獅子の愛情表現であり、高舞・口下げと呼ばれる獅子舞本義の行法を忠実に演じている。獅子頭は梨地漆塗(なしじうるしぬり)の豪華なもので、江戸後期(嘉永(かえい)年間)の大漁を祝して作られたとされる。平成25年市指定無形民俗文化財。