あしあと
正覚院は真言宗豊山派の寺院であり、その創建は室町時代末期もしくはそれ以前と伝えられています。棟札によれば、現在の本堂は江戸時代中期の享保3年(1718)に地元の棟梁によって建立されています。
本堂は入母屋造り(いりもやづくり)に桟瓦(さんがわら)葺き、回縁を除く平面は14.6m、9.2mのいわゆる7間堂であり、富津市内に現存する寺院建築では最大級の平面プランをもっています。床面を高くして通風を良くし、太い角柱を多く使うなどの構造的特色が見られます。
平成4年市指定有形文化財。
浅間神社は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祭神とする神社であり、社伝は拝殿・相の間(あいのま)・本殿で構成されています。
本殿の構造は、流造りに銅板葺きの三間社で、正面に4本の向拝柱を立てたものです。
本殿の小屋組の梁には、江戸時代中期の宝永6年(1709)、地元笹毛村舟端住の棟梁、藤原朝臣・錦織左衛門重満ら13名が協力して建立したことが墨書されています。これは、改築年代の明らかな江戸時代中期の社殿建築として貴重な存在です。特に向拝の虹梁上の蟇股などには優れた施工が見られます。
昭和48年市指定有形文化財。
・流造り(ながれづくり):切妻屋根に反りを付け、前流れを長くして向拝としたもの。
・向拝(ごはい):正面階段の上に張り出した廂(ひさし)。参拝者が礼拝する場所。
・虹梁(こうりょう):やや反りを持たせて作られた化粧梁。
・蟇股(かえるまた):荷重を支えるための部材。下方が開いてカエルの股のような形をしている。
三柱神社の祭神は、天太玉命(あめのふとだまのみこと)・天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)・天日鷲命(あめのひわしのみこと)の三神とされています。
社殿は造海城跡(つくろみじょうあと)の山腹にあり、拝殿・相の間・本殿を持ちます。本殿は杮(こけら)葺きの三間社流造りの構造です。
社伝では養老3年(719)の創建といわれる古社ですが、本殿の棟札写しと『黒坂家記』によれば、江戸時代前期の寛文10年(1670)に地頭の秋元時朝(あきもとときとも)らの支援によって改築されています。
本殿の妻飾りに秋元家の家紋(木瓜)がつき、大棟の両端に魚形装飾をつけるなど、類例の少ない優れた装飾技術が使われていることから、江戸の棟梁が施工したと推定されています。
昭和48年県指定有形文化財。
※平成25年の台風による土砂崩れにより本殿が倒壊したため、現在、再建事業を行っています。
令和7年度再建完了予定。