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富津市

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あしあと

    森要蔵

    • [2013年7月12日]
    • ID:2683

    森要蔵

     幕末期、飯野藩の剣術師範として名が知られる森要蔵は、文化7年(1810)、熊本藩士森嘉右衛門の六男として芝白銀台町細川家中屋敷で生まれた。名は景鎮(かげちか)で、号は一貫斎といった。北辰一刀流の千葉周作に師事し、道場「玄武館」の四天王の一人と称された。のち細川家を脱藩、浪人となって諸国を巡遊する。天保10年(1839)常陸土浦藩の剣術師範役として招聘されたが、ほどなく辞し、天保11年(1840)飯野藩9代藩主正丕(まさもと)に召し抱えられ剣術指南役となった。江戸麻布永坂に道場を構え、「保科には過ぎたるものの二つあり表御門に森要蔵」と称されるほど、江戸では高名な剣豪として知られた。

     慶応4年(1868)の戊辰戦争で、飯野藩士20名が請西藩主林忠崇(ただたか)軍に加わって新政府軍と抗戦、要蔵は脱藩し、門弟28名を率いて会津へ向かった。7月1日、白河口雷神山の戦いで土佐兵と対戦、次男虎雄とともに敵陣へ突進し、父子ともに戦死した。要蔵の墓は富津市青木の浄信寺のほか、福島県西郷村羽太(にしごうむら・はぶと)の大竜寺にもある。

    【参考文献】

    • 「森要蔵伝」『富津市史史料集二』第1編第1章第3節1980.8
    • 八田英夫「幕末の動乱と幕藩体制の終焉」『富津市史通史』第4編近世第10章第3節1982.3
    • 鈴木 譲「森要蔵伝」『富津岬2』富津公民館東京湾学講座・富津澪の会2009.2

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