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富津市

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あしあと

    堀辰雄

    • [2013年7月12日]
    • ID:2724

    堀辰雄

     堀辰雄(1904から1953)は昭和初期から戦後にかけて作品を発表した小説家で、代表的作品に『聖家族』(1930年)・『風立ちぬ』(1937年)・『菜穂子』(1941年)などがある。堀辰雄は明治37年12月28日、東京市麹町区平河町(現:千代田区平河町)に生まれた。府立第三中学校(現:都立両国高校)から第一高等学校(現:東京大学教養学部)へ入学。高等学校在学中に室生犀星や芥川龍之介の知遇を得た。大正12年の関東大震災で母を失い、そのことが後の作品にも影響を与えたといわれる。

     昭和7年に発表された短編小説『麦藁帽子』は、大正時代の竹岡村(現:富津市)を舞台とした思春期の淡い恋を描いた物語で、当時の竹岡村の様子を随所に窺うことができる。「私は十五だった。そしてお前は十三だった。」という書き出しでこの作品は始まる。

     「夏休みが来た。(中略)私は都会のまん中で、一つの奇蹟の起るのを待っていた。それは無駄ではなかった。C県の或る海岸にひと夏を送りに行っていた、お前の兄のところから、思いがけない招待の手紙が届いたのだった。(中略)私はその海岸行きを両親にせがんだ。そしてやっと一週間の逗留を許された。私は海水着やグロオブで一ぱいになったバスケットを重そうにぶらさげて、心臓をどきどきさせながら、出発した。

     それはT・・・・・・という名のごく小さな村だった。お前たちは或る農家の、ささやかな、いろいろな草花で縁をとられた離れを借りて、暮らしていた。私が到着したとき、お前たちは海岸に行っていた。あとにはお前の母と私のあまりよく知らないお前の姉とが、二人きりで、留守番をしていた。」

     物語は「お前」へのほのかな思いに始まり、3回のT村での夏を経て次第に少女が変わってゆくさま、そして関東大震災の避難所で再び「お前」に巡り合い、そして別れてゆくところで作品は終わる。

     作品の中には、「波打ち際で遊び戯れる海岸」(津浜海岸か)、「讃美歌を唱う教会」(竹岡メソジスト教会か)、「麦畑の間を流れる小さな川」(白狐川か)、「母に宛てて電報を打つ郵便局」(竹岡郵便局か)が描かれているほか、「一里ばかり向うの駅のある町」(上総湊か)の洋品店で海水着を買う場面や、汽車に乗って駅でサンドウィッチを買う場面などもある。大正時代の竹岡、内房地域の様子が描かれた貴重な作品である。

    【参考文献】 堀 辰雄「麦藁帽子」『日本公論』1932.9

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