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富津市

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あしあと

    市宝探訪(文書・書跡)

    • [2013年3月18日]
    • ID:789

    鶴峯八幡宮再興棟札(つるみねはちまんぐうさいこうむなふだ) -八幡-

    鶴峯八幡宮再興棟札

     八幡の鶴峯八幡神社は古来より天羽郷のうち15か村の鎮守で、明治12年(1879)郷社に列せられた。その草創は奈良時代、元正天皇の養老年間(717から724)と伝える。祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)・玉衣姫命(たまよりひめのみこと)・神功皇后(じんぐうこうごう)の三柱で、鎌倉初期に源頼朝・上総介広常による神領の寄進があった。その後上総国に入った武田氏の祈願するところとなり、永正4年(1507)武田信嗣・信秋により再興された。その時奉納された棟札が今日まで伝わっている。昭和58年市指定有形文化財。

    光明寺釈迦堂(こうみょうじしゃかどう)の額(がく) -鶴岡-

    光明寺釈迦堂の額

     鶴岡の光明寺に保管されるこの額は、元禄4年(1691)11月、釈迦三尊像及び釈迦堂修復に関することを記録した額で、旧含富里(がんぶり)村(現鶴岡)の釈迦堂に掲げられていたものである。檜材を用いた横32.2cm、縦15cmほどの大きさであり、願主として、佐貫城主柳沢出羽守(でわのかみ)吉明(後の吉保(よしやす))、大工棟梁錦織佐兵衛門など信者52名の姓名と14の町村名を記している。近世の氏姓と釈迦三尊を中心とした当地の信仰形態を知る貴重な資料である。昭和53年市指定有形文化財。

    智明山縁起(ちみょうざんえんぎ) -小志駒(こじこま)-

    智明山縁起

     小志駒に鎮座する諏訪神社の別当寺であった智明山普賢寺の縁起を書いた文書で、紙本のものである。文書末尾の記載によれば、室町後期の天文9年(1540)に、里見安房守源義弘の家臣加藤有補軒が謹書したものとなっている。文書の内容は、普賢寺が行基菩薩の作である薬師如来を本尊とすること、嘉応2年(1170)創建のこと、源頼朝が来総して源氏水を掘り当てたこと、里見義弘が神社を再興・改築したことなどを記述している。昭和48年市指定有形文化財。

    紺紙金泥浄土三部経(こんしこんでいじょうどさんぶきょう) -佐貫-

    紺紙金泥浄土三部経

     江戸時代前期の寛文2年(1662)に佐貫藩主となった松平重治が、先代松平勝隆の冥福を祈り、寛文6年に紺紙に金泥をもって仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)など4巻の経典26519字を写経し、菩提寺の勝隆寺に奉納したものである。重治はこの写経にあたり、一字書いては礼拝し、一句書いては経を誦したといわれる。その後、貞享(じょうきょう)元年(1684)11月、重治は幕府の意に違うことがあって領地を没収され、会津若松に幽閉されて同地で死去した。昭和48年市指定有形文化財。

    大日本史本紀列伝(だいにほんしほんぎれつでん) -新井-

    大日本史本紀列伝

     『大日本史』は徳川御三家の一つである水戸家の藩主徳川光圀が高邁な理想と遠大な計画のもとに編纂に着手し、水戸家代々この事業を引き継ぎ、明治に至って完成した大著である。この『大日本史』本紀列伝のうち100冊が、水戸藩から佐貫藩の阿部氏へ贈られ、その後裔阿部正基氏が佐貫尋常高等小学校へ寄贈したものが富津市教育委員会に引き継がれている。現在『大日本史』は富津公民館のふるさと展示室に展示保管されている。昭和48年市指定有形文化財。

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